やっぱりトルコは遠い国 その2 〜ひとりごと第140回〜
間に合わなかった、、、。最後にもう一度暖かい母の手を握り締めて「ありがとう!」の言葉を伝えたかった。
1年8ヶ月間の苦しい闘病生活中、驚くほど前向きに、そして常に周りに心配をかけないように気遣いながら自分の痛みを極力口にすることなく過ごしつづけた彼女には誰もが敬服したものです。そんな彼女だからこそ、もっともっと長生きしてくれると思っていたけれど、、、。
火曜日の朝に意識不明になったという連絡を受け、その数時間後には息を引き取ってしまうなんて早すぎます。母に対面するまで、トルコの遠さをどんなに痛感してしまったことでしょう。微笑むように永遠の眠りについた母の顔を見た時には、「痛みから解放されて楽になってよかったね。」思わずそんな言葉をかけてしまいたくなったほどでした。
母は生前中、姉にも病院にもどんなことがあっても娘が日本に戻ってくるまで葬儀をしないでほしい、と最期まで私を気遣っていてくれたおかげで、火曜日に亡くなったにもかかわらず、通夜は金曜日、葬儀は土曜日にしてもらえたために私も母を見送ることができました。
19歳で父をなくしてから女手ひとつで気丈に育ててくれ、遠い国トルコに嫁いでからもずっと見守ってきてくれた母。困っている人を見ると自分を犠牲にしてまでも誠心誠意に尽くす性格にはいつも尊敬していたものでした。
独り暮らしになってからも、行動派の彼女はいろんなことに挑戦したものでした。お友達と温泉や釣りやお食事に出かけたりすることはもちろんのこと、1人でも海外旅行に参加したり、野球観戦に行ってみたり、自分なりに生活を謳歌しながら、精一杯生きていたのだと思います。(右の写真は逝去する2週間前に病院のベッドで描いたぬりえ。そこには彼女の言葉が添えられていました。「一りんの花、あなたにさゝげます。E女」 最期まで洒落た言葉が書ける人でした。)
一番必要とする時にずっと傍にいてられなかったことが悔しくて、そして悲しくてしょうがないのですが、彼女のことを遠くからも思い続けてきた事をきっと母はわかってくれたはず。でもごめんね。
みんなから慕われ続けた彼女ゆえ、通夜や葬儀には沢山の方々が参列下さり、本当に感謝しています。役に立たない私に代わって姉や義兄には本当にお世話になりました。私を元気付けるためにわざわざ参列してくれた友人達にも感謝しています。悲しみが大きい時ほど周りの人の優しさを感じるもので、悲しみと同じくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。
「アンタルヤの新居に必ず遊びに行くからね。」という目標を最期の最期まで持ち続けていたけれど、叶わぬ夢となってしまった今、母の遺骨を少し持ち帰り、これからはトルコで母が見守る中、しっかりと生活していこうと思っています。そうすることが今の私にできる一番の親孝行だと考えています。
お母さん、今まで本当にありがとう。そしてこれからもよろしくね。
(2007年11月3日)
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