カッパドキア観光〈基本情報〉


全般
長い年月をかけて大自然がもたらした不思議な景色が広がるカッパドキアはトルコ観光のハイライトとも言える名所です。
ヒッタイトの言葉で「美しい馬のいる場所」という意味を持つカッパドキアは、その次元を超えた風景だけでなく歴史的にも重要な意味を持つ興味深い観光地です。
またこの地方は大変肥沃な土地であり、野菜や果物など多種の農作物を栽培し各地へ流通させています。またワイン作りもこの地方の重要な産業となっています。
地形の歴史
カッパドキアの珍しい地形は数千万年前に遡ります。
エルジイェス(Erciyes)山とハサン(Hasan)山の連続した大噴火により火山岩が流れ出し大量の火山灰や粘土、トゥファ(石灰華)、玄武岩等が何層にも堆積し、それらが次第に固まり始め、100〜150cmの厚さの凝灰岩層状態となりました。そしてその後、風や雨の影響を受けた侵食により長い時間をかけて谷や峡谷となり現在の独特な地形が作られました。
比較的柔らかい岩肌のため、それらの地形を利用して人々は穴を掘り家や教会等を作り始めました。そして現在でもその中で暮らす人々は少なくありません。
歴史
カッパドキア地方の歴史は古く、紀元前2000年頃にはこの地にヒッタイト人達が定住し、その後アッシリア人達が商業の拠点としました。
紀元前1250年以降はフリジア人、リディア人、ペルシャ人、マケドニア人達により次々と支配者が変わりましたが、西暦17年以降はローマ帝国の支配下となり交易や軍事拠点として栄えることとなりました。
そしてアナトリア(小アジア)へキリスト教が広まるようになると聖人パウロがカッパドキアに最初のキリスト教徒共同体を作り、その後のキリスト教徒迫害が起こるようになるとキリスト教徒達はカッパドキアに逃れるようになったのです。このためカッパドキア地方の各地には古代の遺跡と共にキリスト教に関する多くの遺跡が残されています。
ローマ帝国時代が終わるとこのあたりも他のアナトリア同様にセルジュク人やオスマントルコ帝国の人達の支配下に置かれ、現在にいたっています。
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