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イスタンブール観光〈基本情報〉
全般
イスタンブールはボスポラス海峡を境にヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがるトルコ最大の都市です。首都でないにもかかわらず、トルコの産業、商業、文化の中心としての役割を果たしています。
ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマントルコ帝国という3つの大帝国の歴史の重要なる拠点として長年にわたり栄えた街で、それらの文化や遺産を受け継ぎながらも常に新しいものを取り入れ、東と西の文化を融合させながら発展しつづけています。
歴史
紀元前3000年頃には既に人が生活していたと記録されていますが、この地が歴史上登場し始めたのは、紀元前7世紀のギリシャ時代にビザンティウム(ビザンチウム)として支配された頃からです。
その後ローマ帝国の一部となり西暦330年に東ローマ(ビザンチン)帝国の首都として当時の皇帝コンスタンチヌスにちなみこの地をコンスタンチノープルとして治められました。そして中世の時代を通じ、文化、芸術、政治、交易の中心として栄えることとなりました。
1453年5月29日、スルタンメフメト率いるオスマントルコ帝国がこの地を陥落させ、イスタンブールという名のもと統治を始め大帝国を築く基盤としました。アタチュルクが国民のための独立国家を作り上げるために起こした独立戦争によりオスマントルコ帝国が崩壊し、1923年10月29日にトルコ共和国を建国、首都をアンカラに制定しましたが、その後もイスタンブールの優位な地理的条件から、現在もトルコの発展を担う街として成長しています。

伝説
ビザンチティウム(現在のイスタンブール)を作ったメガラ(Megara))の王ビザス(Byzas)がどのようにしてこの地を見つけたかということについての伝説が伝えられています。
新しい土地を探していたビザスはある日、デルフィにあるアポロ神殿にいる占い師から神のお告げを聞きに行きました。すると占い師はビザスに「盲目の人の街の反対側にある土地を見つけ、そこに街を築き住みなさい。」と告げたのです。
その後ビザスはマルマラ海からボスポラス海峡を通り黒海に抜ける旅に出かけました。途中、ギリシャの植民地としてカルセドニア人達が住むアジア側の町(現在のウスキュダルの近く)で一泊。そして翌朝、丘の方に散策に出かけて目の前に広がるマルマラ海と金角湾、そしてボスポラス海峡の三方を水で囲まれた土地(現在の旧市街)を眺めているうちに、ふと占い師の言葉を思い出したのです。
三方を海に囲まれ防備しやすい絶好の場所を開拓することがないカルセドニア人達はまさしく盲目である、あの地こそが占い師が告げた「盲目の人の町の反対側にある土地」であると。そしてビザスは紀元前650年にその地に街を築き、ビザンティウムと名づけました。
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