大セルジュク帝国の中のセルジュクトルコ(アナトリアにおけるセルジュク朝)として中央アナトリアのコンヤ(Konya)を首都とし、すぐにアナトリアのほぼ全域を領土化し、歴史上初めてアナトリアの地にトルコ民族が定住することとなりました。これはまたアナトリアにひとつの民族が定住するという初めての歴史を刻むことにもなったのです。それまでの支配はアナトリアの一部を占領する、又はペルシャやローマ帝国のようにアナトリア全域を政治的に支配しただけで定住することはなかったからです。従ってトルコ民族系のセルジュク一族のアナトリアでの定住はトルコの歴史にとって大変重要な事実となりました。
セルジュク一族がアナトリアに定住を始めたものの、それまでその地に住んでいた人々はギリシャ語を話すキリスト教徒やユダヤ人が主でしたが、イスラム教徒であるセルジュク一族は彼らを寛容に扱ったためセルジュク時代には教会やシナゴーク(ユダヤ教徒達の礼拝所)の建設が栄えながらもセルジュク人達はモスクや神学校等を建造し、融合した文化が繁栄させることとなりました。
また、セルジュク人達は国際交易の重要性を充分理解していたため、13世紀には交易のためにキャラバンサライ(隊商宿)を積極的に建築し交易を奨励、その結果、経済が発展し人口増加にもつながりました。そしてイスラム教神秘主義者であるメヴラーナ(Mevlana)の登場、スーフィー(イスラム教神秘主義)が広まっていったのもこの頃のことでした。
このようにアナトリアでは文化や経済が発展していたにもかかわらず、エルサレムをめぐる聖地奪回のための十字軍との戦いや周辺地域での戦争等により軍事力は衰退の途をたどっており、大セルジュク帝国としての繁栄はすでに下降してしまっていました。そんな中、アナトリア北部ではトルコ系民族の別の一族がオスマンを首長としてセルジュク一族からの独立を成し、次第に勢力を強めていくこととなりました。これはのちに600年以上続くオスマントルコ帝国の基礎となりセルジュクトルコは完全に消滅してしまうこととなりました。